花よりだんご

趣味のことや思ったことなど自由に書きます。

ナナシスと出会ったオタクのお話

はじめに

 

初めまして。

知人の間でブログ開設ブーム?みたいな流れがあり、それに乗っかってブログを書くことにしました。

 

最初の記事ですが、その知人の方は自分のオタクとしての熱い想いを綴った内容の物を書かれていたので、僕もそういうことを書いてみようかなと思います。

 

この後書くことは僕個人の中での話なので、自己流の解釈等で指摘があったり、不快な思いをされる方がいらっしゃるかもしれませんがどうかご容赦ください。

 

Tokyo 7th Sisters

早速ですが、僕は今Tokyo 7th Sisters、 通称ナナシスにお熱です。

初めてまともに触れたのは去年の暮れぐらいだったと思います。

知り合いにナナシスマジヲがいたので、存在自体は結構早くから知っていましたが、めんどくさがりな自分はチェックしようとは思っていませんでした。今考えれば、とてつもない後悔しかありませんが…

 

キッカケはとある場所で流れていたある曲を聞いて、いいなぁと思ったという単純明快な理由です。テクノ系が好きな自分にとって、それは魅力的なサウンドでした。あの有名な「SEVENTH HAVEN」です。曲を聞きたかった自分はとりあえず、TSUTAYAで2ndアルバムをレンタル。普段アルバム曲は有名な曲だけ聞いて他は聞き流すような聞き方をしてしまうのですが、名曲揃いで思わず聞き入ってしまっている自分がいました。

当時はゲームすらも触れず、曲しか聞いていなかったので、様々なユニットがいて、それぞれに決められたテーマに沿った楽曲を歌い上げていることも知りませんでした。

2ndアルバムの曲を十分に堪能し、もっと曲を知りたいと思うようになりました。ただ、過去のCDはレンタルの取り扱いが無いらしく、今までCDを買うことがあまり無かった自分は、迷った末に1stアルバムと最初のミニアルバムを購入しました。ゲームを始めたのもこの頃だったと思います。

結果的にこの二つのアルバムが僕をナナシスに引き込んだ原因となりました。

どの曲も違った方向性を持ったサウンドで、それぞれの楽曲がアルバムという箱の中で必死に自己主張をしている、そんな印象を受けました。最初のCDであるミニアルバム『t7s Longing for summer』。たった数曲の小さなアルバムの中からでも確かに感じ取れるナナシスの可能性。そしてそこからバトンを繋いだ1stフルアルバム『H-A-J-I-M-A-L-B-U-M-!!』はナナシスのテーマ、やりたいこと、伝えたいものが感じ取れる、僕の中でもナナシスのはじまりを予感させてくれるものでした。

ゲームの方はというと、正直なところソシャゲ嫌いで、ゲーム自体のシステムもあまり理解出来なかった自分は最初の導入ストーリー的なものをやってからは放置していました。曲だけでいいやと、そう思っていました。当時はそれで充分楽しめていたのですから。

 

そんなわけで僕はナナシスというコンテンツを好きになっていったわけです。

 

ナナシスのゲームのお話

 曲だけしか聞いていなかった僕がゲームの方にもちゃんと手を出すようにしたのは、3rdライブの一か月ほど前でした。どうせライブに行くならちゃんと準備していこうと思ったからです。まぁ当然の心理だと思いますし、ゲームが全てである今のナナシスの状況からすれば、ただただ曲だけのために行くのは失礼なことだとも思いました。 1月に発売されていた2ndライブのBDを見てアルバム同様、ライブも一つの作品として、演出等にも拘りが感じられてとても楽しみ、というのもあり、ライブの全てを感じ取ろうとしていたのだと思います。

モチベが上がらないなりにも、ゲームを進めていく上で気付いたのは、アプリゲームとして扱うにはあまりにも内容が大きすぎるということです。

まず前提として、他のアイドル物の音ゲーであるスクフェスデレステとはやろうとしていることが根本から違うのです。あれらは元々のコンテンツとしての基盤があって、あくまでも、展開の一つとしてアプリゲームを作っているのに対し、ナナシスはゲームに全てが集約されていたのです。これはスクフェスデレステがダメとかそういうことではなくて、ナナシスというゲームから始まっているコンテンツの性質上、始まりから今まで、全てがこのゲームの中に詰まっているということに気付いたという話です。

これに気付いた時、自分の中でナナシスというゲームが一つのただのゲームとしてではなく、ナナシスというコンテンツそのものであるという認識に変わりました。そう思えた時から僕はソシャゲ嫌いとか関係なく、ナナシスのゲームをしっかりと楽しんでいけるようになりました。同時にナナシスというコンテンツにおいて、ゲームをおざなりにしていた自分の誤りにも気付きました。

ゲームをゲームとして認識しなくなったからちゃんとゲームを楽しめるようになった、なんてとてもおかしな話ですが(笑)

まぁ、もちろんまだまだ改善してほしいところはありますし、クソゲーと冗談で言ったりしていますが、そういうことも含めて楽しんでいるということです。

 

まともにゲームをやっていくようになり、キャラは勿論、ストーリーや設定、世界観などにもきちんと触れることが出来ました。基本コンテンツは箱推しの自分はキャラ達がどんどん好きになり、よりナナシスへの理解を深めていきました。近未来が好きな自分にとっては、2034年という設定にも心が惹かれました。

 

ただ、一つ自分の中で気になっていたことは、ナナシスの設定は伝説のアイドルであるセブンスシスターズが突然活動をやめて「アイドル氷河期」が訪れている世界であること。昨今は多種多様なアイドルコンテンツが乱立し、ありふれています。でも今のこのアイドルがありふれている世界も僕の心の中では「アイドル氷河期」でした。この設定に似たことを現実で経験し、目の当たりにした僕の心の中ではそうであったわけです。

 

また、一つのキーワードとして挙げられるのが、ナナシスのテーマは「誰かの背中を押すこと」。ゲームのストーリーの中でもこういったことを連想させるシーンがたくさん出てきます。

まぁでも正直なところ、こういうテーマとかはへぇ~ぐらいな感情でしか見ておらず、設定とかがしっかりとしたアイドル物の一つ、くらいにしか考えていませんでした。

3rdライブまでは。

 

CHAIN THE BLOSSOM

そんなこんなで迎えたナナシス3rdライブ、

「t7s 3rd Anniversary Live 17'→XX' -CHAIN THE BLOSSOM- IN Makuhari Messe」。

曲は勿論のこと、ゲームの効果もあって、楽しみで仕方ありませんでした。初めての現地参戦ということもそうですが、こういうアイドルコンテンツとしても初めての現地参戦でした。

突然ですが、少し過去の話をします。僕が過去にとても好きだったとあるグループは昨年でおしまいになり、一度もその姿をこの目で見ることはありませんでした。環境的にもそんなに気軽にライブに行けなかったなど、様々な要因がありますが、自分の中で満足に終われなかったこと、遠くに見えていた光のようなものの本質を見ることが叶わないまま、その光が消えてしまったこと。それらは自分の中でとても寂しく、悲しく、悔み、同時にそんな中途半端で終わらせてしまった自分にずっとイライラしていました。その人々が与えてくれたものを見て、元気を貰い、感動し、感謝し、一緒に泣き、別れた人々が言っているような「喪失感」が自分にはずっと、とても羨ましかったのです。まさにそういう感情が僕の中にあった「アイドル氷河期」であったわけです。

そんなわけで、自分にとっては何か意味のあるライブだと思っていました。曲が好きとか設定が好きとかいう以上に。

そしてそんな予感は的中しました。

ただ、自分が想像していた感情とは違っていました。

例えば、よくありがちなキャストが泣いて感謝の意を述べるとかそういうことがあったわけでありませんでした。キャスト、ここではナナシスのアイドル達と言った方が適切かもしれませんが、彼女達がステージの上で笑顔で歌って踊り、観客にナナシスを届けていた。そして、ライブが始まった時の演出からキャストが裏へ帰っていくまで、全てが一つに繋がった大きな作品のように感じられた。

言ってしまえばそれだけでした。僕が過去にテレビの中のライブ映像だけで見ていたあの人達のようでは無かったのです。では、何故僕はそれにそこまで心を惹かれたのか。

 

ライブ開始直後にスクリーンに映し出されたこんな文章。

ARE YOU READY ??

WELCOME

TO THE 3RD

THIS IS

THE "LIVE"

 

THIS IS NOT INSTANT

YOU ARE NOT INSTANT

THIS IS

THE "LIVE"

CHAIN THE ...

CHAIN THE STEPS

CHAIN THE TEARS

CHAIN THE ANGER

CHAIN THE FAILURE

CHAIN THE STORY

CHAIN THE TRY

CHAIN THE "LIVE"

 

THIS IS

THE ONE

AND YOURS

CHAIN THE BLOSSOM

 

最初に"LIVE"を強調していたのは、初の生バンドだからでしょうか。

そして、「これはすぐに出来るようなものではない、このライブも君も同じで、これは生きていくこと。」

「歩みを繋げ、涙を繋げ、怒りを繋げ、失敗を繋げ、物語を繋げ、挑戦を繋げ、生を繋げ…」

CHAIN THE ~に合わせて花びらが映し出されていきます。

全ての花びらが繋がれ、一つの大きな花へ。

「これはナナシスのこれまでの軌跡の花、そして君の花。花を繋げ。」

(英語弱者なので、変な意訳ばっかりですが許してください。)

 

勝手な解釈かもしれませんが、この演出を見た時、僕の中で何かが変わりました。過去の様々な思いとリンクしたせいか、とてつもないメッセージ性を感じました。

今まで後ろを向いて、過去の消えてしまった光を羨み、気にかけていた自分に、明日の方向へこんなにも力強く手を引いてくれたのです。過去は過去で仕方ない、では無いのです。過去のことも全部ひっくるめて繋いでいけ、そう言われたのです。

 

そして気付きました。「あぁ、ナナシスの背中を押すってこういうことか」と。

 

歌で、キャラの感動的なセリフで、憧れの人々を見て、そういう方法で元気になる人はたくさんいます。でも自分はそれで一瞬は励まされても、それだけで終わってしまう人間です。浅い人間なのです。貰ったものが長く続かないのです。

でもナナシスは、僕個人の中の経験とリンクさせて背中を押してくれました。

それは特別大きな希望のようなものではないけれども、でも確かに僕の心の中に前向きな変化をもたらしてくれました。

それは少なくとも自分が今まで感じたことの無いような感覚でした。今まで触れてきたこういうコンテンツは輝いている人達を見て、そこから何かを貰うだけしか出来ないような受動的なものとして僕は接してきました。

でもナナシスは違いました。何か大きな夢を叶えようとかではないけれど、1人でもいいから誰かの心の中に入り込んで、その人の経験、生き方とリンクさせて、背中を押してあげる。それは、単純なことで小さなことかもしれないけれど、一番確実な、現実的な、温かいものだと思います。

勘違いしてほしくないのは、僕がここで言っているのは他のコンテンツにそういう要素が無いとかそういうことを言っているわけでは無いのです。たまたま僕がナナシスにこういうメッセージ性を強く感じただけです。実際、僕も過去にああした後悔が無ければ、こんなに胸に響かなかったと確信しています。だから、個人個人の心に入り込んでくると感じたのです。

ただ、ナナシスが1人でもいいから「誰かの背中を押す」ことをテーマとしているコンテンツであるならば、他のどのコンテンツよりもそういうメッセージ性を強く感じることが出来てもおかしくないとは思います。

 

そんなことを考えていてもライブは進んでいきます。

セブンスシスターズが登場し、「SEVENTH HAVEN」、「FALLING DOWN」を披露。会場全体が大きな熱気に包まれ、伝説のアイドルグループという設定に恥じないとてつもなくかっこいいパフォーマンスで観客を魅了します。

 

そしてまたスクリーンに映し出される演出。

キャラの紹介と共に春、夏、秋、冬を感じさせるこれまたオシャレな演出の中で、こんなフレーズが。

Rebuilt

Transformed

But

Not Changed

 

The World will be Changed

The Sound will be Changed

But

My Soul is not Changed

 

「姿形を変え、再構築され、それでも変わらないものがある。」

「世の中は変わっていくだろう、音楽は変わっていくだろう、でも、ナナシスの魂は変えられない。」

 

かっこよすぎますね(笑)

言ってしまえば、生バンドというだけでも今までとは姿形を変え、再構築された曲です。でも中身は変わらないのです。ナナシスの魂、伝えたいテーマはこのライブのサウンドの中に確かに存在していたのですから。それを感じるにはこのライブ会場にいただけで十分でした。

演出の最後辺りから少し切ないサウンドになりました。一瞬会場から音が消え去りそうなほどになったところで聞こえてきた「H-A-J-I-M-A-R-I-U-T-A!!」のイントロ。暗闇の中から一縷の光が差したようなそんな感覚でした。僕をナナシスの世界へと引き込んだあの『H-A-J-I-M-A-L-B-U-M-!!』の一曲目。

 

キラキラ届けたくて
ここから歌うメロディ
もしキミの胸に届いているのなら
今すぐこの手をとって!
ボクらで始めよう
夢がほら奏でるよ
ハジマリウタ

 

あの時聞いた時には特になんとも思わなかったこの歌詞。ありがちといえばそうかもしれないけれど、あの会場にいた僕の胸には確かに届いていました。

頑張れとかではなく、手をとって、ボクらで始めようという歌詞にとても「誰かの背中を押す」ナナシスらしさを感じていました。

続いていくライブ。曲や演出、ユニットのMCなど勢いは留まることを知りませんでした。

4Uの後の出番のThe QUEEN of PURPLEが初ライブで緊張していたけど、キャラの言葉に助けられたとか、そういう話も聞くことが出来ました。

ライブも終盤に差し掛かり、再びセブンスシスターズの登場。

「Sparkle☆Time!!」を歌います。

CLAP! CLAP! CLAP!
ハジける心
STEP! STEP! STEP!
両手重ねて
星を掴むくらい
高く掲げよう
JUMP! JUMP! JUMP!
君のハートに
DANCE! DANCE! DANCE!
届くビートが
空に誘って
みんな繋ぐよ
Sparkle Time

 

とても楽しい曲の中にも散りばめられている「繋ぐ」というフレーズ。曲が終わった後には、アイドルは次の世代へとバトンを繋いでいく。セブンスシスターズからバトンを繋いだ777☆SISTERSを呼ぼうという流れになり、セブンスシスターズは退場。

 

出てきた777☆SISTERSが歌うのは「FUNBARE☆RUNNER」。

 

そうだ RUNNER!走れ!
なにもかも捨てて
現在が輝けるように
だって自分の限界なんて測れない
一等星を掴まえたい

いつか消えてく光があるなら
その光を忘れないように
君と想い馳せる
あの雲の向こう側を信じてる
風が吹き抜けた白い午後

MOOO☆I☆KAI!!!!!!!!!!
I☆KU☆ZOOOO!!!!!!!!!

そうだ RUNNER!走れ!
何よりも弱い自分に負けないように
だって「このままあきらめたい」
そう思わない自分のこと信じてたい

いつか誰かの光になるんだ
想いのたけ手渡すように
君とつなぐバトン
終わらない夏の始まりを見てる
見上げれば青と入道雲

 

いつか消えてく光からバトンを貰い、誰かの光になるんだというこの曲の意志。ナナシスの彼女達の願いの曲。いつかは自分も消えてく光になる、そう分かっているからこそ、現在を輝けるようにと。

消えてく光だとか、現在を輝くだとか、こんなワードで連想するものが僕にはあるのです。さっき書いたとある人々のことです。伝説的、越えられないと思う壁、数え切れない数々の実績を作り上げた、そんな彼女らですら「消えてく光」だったわけです。

そして今目の前にいるナナシスの彼女達もその事実は分かっているでしょう。いつかは自分も「消えてく光」だけれど「その光を忘れないように」バトンを繋いでいく。それはナナシスの設定の中にも存在する、伝説的なセブンスシスターズすら「消えてく光」であること、を彼女らは設定の中だけでも汲んでいると信じられたからだと思います。そしてそんな気持ちで彼女らの歌、パフォーマンスを見た時、それは設定という物を超え、僕の中に訴えかけてきていました。

さっきのMCで言っていた「アイドルは次の世代へとバトンを繋いでいく」、この言葉がこの曲を通して、またもや自分の中で過去とリンクしていました。

不思議なことにこの瞬間、今までの胸のわだかまりが無くなったようでした。

自分の中にあった、あの消えていく光を忘れないように、そして今誰かの光になろうとしている目の前の彼女らを応援したいと心から思いました。

バトンが繋がれたのです。

 

そんな前向きな気持ちになれた後に聞く

「僕らは青空になる」

 

あの日から履いて傷んだシューズは
そんなことじゃキミを裏切らないから

高すぎてあきらめた青空に
今日は届きそうな気がするんだ

 

「FUNBARE☆RUNNER」の続編とも感じ取れるような色々な歌詞。高すぎて諦めた青空とは、夢や「消えてく光」の形容でしょうか。今までに比べると少しだけ前向きな歌詞。

 

眩しくて目を細めてた光
今はもう怖くはないんだ

 

強すぎる憧れや大きな夢、近付こうとすることすら億劫になる、そんな感情。でも今まで走ってきたことでそれも薄らいでいくような、そういう歌詞に思えます。

 

ひとりぼっち僕らの
みんなの物語
何度だって僕らは
傷ついてまた強くなる

笑いあった一瞬を忘れないで
祈るから
願うから
青空に

 

ひとりぼっち僕らのみんなの物語というところがとても好きです。ゲームで見てきた777☆SISTERSのみんなのストーリーが走馬灯のように感じられるフレーズ。そしてそれは自分たちの中でも同じ。きっとナナシスと個人の間には1人1人違う物語がある。そんなひとりぼっちな僕らが紡いできたそれぞれの物語。僕にはそんな風に思えます。

 

運命だよ ココニイルコトは
流した涙 それが証になった
その勇気は奇跡じゃない

雲が晴れて 僕ら

青空になる

一瞬でも カケヌケルイマは
確かに想いと手が重なり合った
この夢はまぼろしじゃない
動き出した夏は
キミと手を繋いでる

 

「H-A-J-I-M-A-R-I-U-T-A!!」で一緒に手を取り合い夢に向かい始め、「FUNBARE☆RUNNER」で色々な光を見て、「僕らは青空になる」でそれが幻ではなく叶ったのだ、というストーリーが見えてくるようです。

始まりの歌が胸に届いて、最初に手をとったキミが、今は動き出した夏と手を繋いでる。777☆SISTERSの曲が夢の始まりからそれが叶うまでの光として一緒に手を繋いでいた。そしてそうであるならば、「誰かの光になるんだ」という彼女達の願いも叶っているのかもしれません。

曲が終わり、とうとうライブ終了まであとわずかになりました。

 

ハルカゼ~You were here~

「僕らが青空になる」が終わり、キャスト陣が一列に並びます。

春日部ハル役の篠田みなみさんが

「支配人さん、覚えていますか?私がナナスタに入った時のことを…」

続けて天堂寺ムスビ役の高田憂希さん

「私がナナスタに入った時、メンバーはハルだけでしたよね。」

ゲームでの777☆Sistersの軌跡を思い出していました。まるで、卒業式のような雰囲気。

「聴いてください、ハルカゼ」

優しいメロディ、包み込まれるような、でも寂しげな、そんな曲。前向きなプラスな感情ばかりでも無ければ、悲しすぎるような歌詞でも無い。とてもフラットな、でもだからこそどこにでも、誰にでもあるような、そんなことを思わせる曲。

 

夏に見たあの空を この目に刻んで
秋を探す足音を 両手に包んで
冬にした約束を 忘れないよ
誰もがみな 春を待つ蕾

歩き出した 君の一歩は
いつの日にか 春風になる
どんなに遠い空へでも
羽ばたいて明日を描く
忘れないで 君の涙は
いつの日にか 花びらになる
どんな綺麗な花よりも
鮮やかな風になる

いつの日か空に咲く

 

夏に見たあの空、あの曲と繋がっているのでしょうか。あれらの曲との共通点はもちろん、この曲にはナナシス初のバラード、MVとして短編アニメーションがある、前日譚としての小説があるなど、背景の設定がとても多く、一つの曲として扱うには大きすぎます。自分なりの解釈にもまだ結論がついていません。聴く度に新しい見方が生まれてきます。でも色々な解釈があったとしても、確かにこの曲からも感じ取れるはずです。「ナナシスの魂」が 。力強いものでなくとも、まさに優しい春風のように、背中を押そうとしてくれています。

 

曲が終わり、スクリーンに映し出される手紙。

 

私の願いは今までとても小さなものでした。

でも今は少しだけ違います。

私は

花のようになりたいです。

明日には散ってしまうかもしれないけれど

そこにあるだけでそっと誰かの背中を押せるような

そんな花のようになりたいです。

だから、また

またあした

 

このメッセージの前向きな温かさ、儚さと寂しさ。自分の中で過去に散ってしまった思い出、それを包み込んでくれた優しさ。その優しさを感じさせてくれたものすらいつかは散っていくのだということ。

このライブのこれまでを通して、本当に自分は過去の悔みを断ち切ることが出来たのだと思います。だからこそ今、全力でナナシスを好きになって、過去と同じ過ちを繰り返さないようにしようと心に決めたのです。過去と決別したわけでも無く、自分の心の中にあった大きな二つの光を「繋ぐ」ことが出来たんだと思います。過去の眩しいぐらいの光とこれから輝きを増していく新しい光、どちらも大事な存在です。ただ、今は、過去を見続けるよりも、僕の光になってくれる彼女らの輝きが増していく様を見届けていきたいのです。自分も彼女らと同じく、またあしたも。

 

手紙の演出が終わり、ゲームの一場面やジャケット写真がダイジェスト映像のように流れていきます。その後には草木に花が咲き、その花々がどんどん繋がっていきます。そして一つの大きな花が咲き、今後の告知が入ります。3公演とも違った内容で、今のナナシスにとっては様々なチャレンジになるでしょう。今後の展開が更に楽しみになりました。花は確かにそこで次へと繋がりました。

 

映像が終わりになると、キャスト全員がステージ上に。

「皆さんの心にハルカゼは吹きましたか?」

「最後は変わらないナナシスの最初の想いを歌った曲です」

感無量で聴く「Star☆Glitter」。

歌詞の通り、星がたくさん瞬く夜空のような輝きを貰いました。

曲中の「最初の想い」がまた「H-A-J-I-M-A-R-I-U-T-A!!」に繋がってるいくような気もしました。

このコンテンツに出会えて良かった。心からそう思いながら聞いていました。

この時、僕の心の中には確かに温かいハルカゼが吹いていました。

 

ナナシスのライブには他のコンテンツと比べると、珍しくアンコールがあまりありません。キャストみんながもう一度出てきて感謝を述べるようなことも ありません。でもだからこそ最後にはスッキリとした演出で幕を閉じることが出来ます。今まで書いてきたような歌や演出の数々が重なり、1つの大きな作品を見終えたような、そんな気持ちで、終わることが出来ました。

 

CHAIN THE BLOSSOM、ハルカゼが吹き、ナナシスという花がまた一歩先へと繋がれたと感じることが出来た素晴らしいライブでした。

そしてそれを見た自分自身も、これまでからこれからへと確かにバトンを繋ぐことが出来ました。

 

最後に

こんなわけで3rdライブを通して僕はナナシスが大好きになりました。

茂木監督の「いわゆる一定数の萌えを求める人のために作っているコンテンツではない。ナナシスナナシスしかやらないことをやる。」という考えには非常に惹かれるものがあります。僕個人がコンテンツ全体を理解した上で好きになりたい人間なので、キャラがかわいいとか、声優が誰だとか、そういう適当な理由での好きをあまり好ましく思っていないのです。アニメ化にも非常に慎重で、ナナシスの魂が入っていない作品になりそうだということなら話は全て断っているのだそう。確かにゲームに全部を詰めこんでいるコンテンツなので、無理にアニメ化してそういう変なファンがつくぐらいならやらないでほしいですね…

こんなにも僕を魅了したナナシスにしか出来ないことをこれからもやっていってほしいです。

 

またこんなことも

「誰かの背中を押すこと」はきっとアイドルでなくて「誰にでも」出来る。僕たちがここにいる理由はそれ以外になくていい。だからこれはきっと「アイドルの物語」ではなくて「人間の物語」

 

episode 4Uの最後のセリフ「アイドルはアイドルである必要は無いんだぜ。」というセリフがとても印象に残っている自分としてはハッとさせられた言葉です。

確かにアイドルコンテンツであるけれど、アイドルということに固執しているわけではない。だからこそ僕は、いい意味でアイドルっぽくない曲が多いと感じるのかもしれません。

そして、なによりも痛感した、ナナシスの曲や言葉が自分の心に入り込んで、背中を押してくれたことからも、ナナシスはやはり「人間の物語」として成功しているのでしょう。

 

だらだらと書きましたが、僅か半年でこんなたくさんの物をもたらしてくれたナナシスと出会い、3rdライブに参加出来て、本当に良かったと思います。色々と得るものが多すぎた日々でした。

たかが、とあるオタクがいちアイドルコンテンツにハマった話にお付き合いいただきありがとうございました。

 

今は、ナナシスがいつか「消えてく光」になるその時まで応援していきたい。

ただその一心です。

 

最後にありがとうナナシス

 

そして、その魅力に気付くのに不可欠だったμ'sの彼女達にも、やっと心からのありがとうを言えた気がする。

 

そんな春の出来事でした。